メガネと拒絶


最近は、視力の弱い人を見かけなくなりました


コンタクトレンズのお陰です


眼が悪くても、コンタクトを嵌めていれば誰も視力のことを気にしなくて済む


コンタクト・・・接近、接触


まさに、人と人との接近・交流をスムーズにする素晴らしいツール


では、メガネは?


コンタクトに比べて、遥かに巨大なレンズを装着することで、誰彼構わず視力の弱さをアピールする


ほら、私はアナタに比べて、こんなに眼が悪いんですよ
お陰で、こんなに大きなレンズで顔面を拘束しているのです、と


これは拒絶のサインと受け取られても仕方ない
自分の顔の前にベルリンの壁を建てるようなものです


でも、本当にそうでしょうか?




昨日、私は答えを求めて
絶滅寸前のメガネ民を訪ねました


まず、実験として遅れていくことにしました
そして、電車の中から以下のようなメールを送りました


”予定より遅くなります。
何なら鉄道会社を買収して急がせるので、資金をご用意下さい”


これを読んで、普通にコンタクトを使用している人なら
「じゃあ仕方ない、2兆円ぐらい用意すればいいかな?」
とか
「じゃあ仕方ない、自家用ヘリで迎えに行こうかな?」
とか、思うところでしょう
コンタクトを使用している人というのは、そんなことで、人との交流に壁を作らないのです


ところが、メガネ民は心が狭いのです


”それなら君に、時間の観念を血ヘド吐くまで叩き込む方が安上がりだ”


と、酷い返信を送りつけてきました


何たることでしょう!


やがて、買収を免れた某私鉄の列車が目的の駅に着きました


メガネ民の住む集落まで、バスで向かいます
メガネ民の談話によれば、「三丁目」というバス停が近いとのことです


やがて、走り出したバスからの風景に、私は違和感を感じました
三丁目って過ぎてないか?


私も、以前は住んでいた地域です
記憶を探ってみても、やはりおかしい・・・


とりあえず、「六丁目」で降りてみました
案の定、メガネ民の集落は目の前でした


危うく罠に掛かるところだった!
と、ようやく発見したメガネ民に、私は激しく詰め寄りました


メガネ民は悪びれもせず
あ、そう?
そんな何丁目がどこかなんて、どうでもいいじゃん!
俺が知ってるわけないだろう?

などと、とんでもない態度です


子供の頃から住んでいる地域にすら関心が無い
特にこのメガネ民は、デジタルの世界にしか興味がないのです
「デジタルは終わってるね、これからはアナログだよ」
とか、言ったりしてますが、絶対にウソです
しかも、何がアナログなのか聞けば「文房具」だという
人の言うことになど何の関心もないくせに、文房具を使いたいからメモを取る
彼のメガネのレンズは、どれほど冷たいのだろう・・・


もはや、「コンタクト」を取ることなど諦めました
軽い疲れを覚えながら、付近のファミレスに入ります


「とりあえずビール」
出ました、「とりビー」です!
午後4時のファミレスで、「とりビー」
他人の視線など、どうでもいい
ああ、そうさ!俺は視力が弱いからな!
貴様らに、どんな眼で見られようと知ったことか!
と、言わんばかりの「とりビー」


私は、もうメガネ民への期待を完全に失いました
やはり、メガネはメガネなんです


人と人との接触を拒絶し、孤独にレンズを光らせる
滅亡の道を選んだ少数民族、メガネ民・・・


私は、卓上の呼び出しボタンを押しました
「ビールお代わり下さい」
ウェイトレス嬢の視線が、外の明るさと空のジョッキを見比べています
私は、絶対零度のレンズの光で、その視線を撥ね返しました


ああ、そうさ!
どうせ俺は、コンタクトを使わない偏屈野郎だよ!
すいませんね、メガネなんかかけてて!



あ〜あ
コンタクトにしようかなぁ・・・