人生なんて・・・

うちの近所に、『まつぶし』という町がある


俺が都落ちして、ちょうど四年


子供の頃なら、いざ知らず
大人になってから越したところなので、近所をうろつく事も少なく、四年も住んでいるというのに、付近の事情が全く分からない


先日、引っ越しを断念して、マンションの更新をした
またしばらくは、この土地に厄介になる


そこで少しは、近隣の事情に目を向けようと、郷土資料を読んでいたら面白い記述を見つけた


冒頭の、まつぶし町の名前


まつぶしは、漢字では松伏と書く
これは明治以降の表記で、それ以前は『待伏』と書いていた


なんだか、待ち伏せでもしているようで、体裁の悪い字面だが、明治の役人もそ
う思ったらしく、強引に「待つ」「松」に変えてしまったらしい


が、おかげで、土地に根ざした由緒ある名前が、意味不明になってしまったのだ


「待伏」は、更にその昔には、「日待伏」と言った


ひまつぶし…


要するに日が照るのを待って伏していた、というわけだ


冗談みたいな地名だが、実は、こっちが先なんである


元々、この辺りは水の多い土地だった


江戸川と中川に挟まれた巨大な中州のような地形で、そのせいか、東京から遠くないのに、かなり「地方的」な独特の文化がある
いわばチグリス河とユーフラテス河に挟まれた、メソポタミア文明のようなものだろう
(メソはギリシャ語で「あいだ」、ポタミアは同じくギリシャ語で「河」を意味する)


川を利用して、米を作ったり、材木を輸送したり、川魚を名物にしたり、水に恵まれた土地なのだが


一方で、それは水害との闘いでもあった


「蛙の小便でもあふれる」
と言われたこの土地は、長雨が続くと、アッと言う間に水浸しになってしまい、田圃も畑も全てダメになってしまう


と、言うわけで、梅雨の時季など人々は、なんでもいいから晴れてくれと、伏して太陽を待っていたのである


ところで、その待ち方だが…


この辺りの人は、ラフというかアバウトというか
伏していた、と言っても、別に天に祈っていた、というわけではない
ここぞとばかりに寝っ転がっていたんである


ある意味、骨休めには丁度いい、というわけだが、人間そうそう寝てばかりもいられない


ヒマだなぁ…


室町時代の頃の日本には、「ヒマ」という言葉は無かった


農民はもちろん武士だって、みんな忙しいわ早死にだわで、ヒマを感じるヒマもなかったんである


そこにきて、このヒマ…
それも逆らいようのない、強制的なヒマ


「おぅい、おめ何おっ転がってんだぁ?」
「雨、止まねぇんだもん日待ちで伏せってる(寝てる)しかねんだぁ」


いつしか、やることが無くて、ゴロゴロしている状態を
「ひまつぶし」している、と言うようになった


一方、他所に流出した言葉は省略されて
「ひま」
と言い習わされるようになった


これまで日本に無かった言葉なので、表記には似たような意味を持つ漢字が充てられた


すなわち
「暇(か)」
「閑(かん)」

など


それが今度は帰ってきて
「日待伏」
だったものが
「暇(閑)を潰す」
と変化して、今に至っているのである



つまり隣の松伏町


「ひまつぶし」


という言葉の語源だったわけだ











っていう話を捏造して
「町おこしの一環に、ぜひ…」
とか松伏町長にネジ込んだら


幾らか貰えませんかねぇ?


土用の丑の日にウナギ喰いそびれたんで
儲かったらヒツマブシでも食べたいなぁ


と、いう訳で


手間ヒマ掛けた
親父ギャグでした